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〈レポート〉メディアとエリアリノベーション〜「司3331」オープントーク②レポート

2016.07.28

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 3331クリエイティブ・オフィス「司3331」トークイベントレポート
 ~メディアとエリアリノベーション~ ゲスト:馬場正尊、佐藤直樹

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7月18日の海の日。
夏らしく晴れて暑い一日となったこの日、「司3331」1階101号室を会場にオープントークイベントが行われました!
第2弾のゲストは、建築家の馬場正尊さん(OpenA)とアートディレクターでデザイナーの佐藤直樹さん(Asyl)です。

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馬場さんは建築家、東京R不動産の代表として、また佐藤さんはデザイナー、3331などのアートディレクターとしての活動でも広く知られていますが、お二人は2003年よりスタートしたアート・デザイン・建築の複合イベント「CET(セントラルイースト東京)」の仕掛人でもあります。

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今年の5月に出版された馬場さんの新刊「エリアリノベーションー変化の構造とローカライズー」の内容に触れながら、CET当時のことを振り返りつつ、現在このエリアに対してお二人が考えていることなど幅広く語ってくださいました。

テーマは「メディアとエリアリノベーション」

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【『エリアリノベーションー変化の構造とローカライズ』/学芸出版/2016:馬場さんの新刊。ブックデザインはAsylの佐藤さんと遠藤さん。エリアリノベーションの例として前回のトークゲストである嶋田さんも寄稿しています】


まず、お二人は2003年に始まり(開始当時の名称はTDB-CE(東京デザイナーズブロック・セントラルイースト)、2010年に終了したCETについてお話を進めます。

佐藤さん:「CETを始めた当時はエリアリノベーションなんて全く考えてなかった」

馬場さん:「このエリア(神田・日本橋)は空いてる物件がたくさんあって、それを見つけていくのがただ単純に楽しかった。」

この借り手のいない物件を2週間だけギャラリーとして使わせてくださいとお願いして回ったのが始まりで「アートイベントをやろう!」という意図も無かったとのこと。

テーマにあるメディアについては、CETが始まった当時(2003年)はまだ今のようにFacebookやtwitterがない時代。
この時にとても面白く機能したメディアはなんとメーリングリスト!
核のメンバーのみで始まったメーリスに、勝手に誰かがCCにアドレスを追加していくことで、情報にアクセスしてくるひとが増えていったそう。
最終的には本文にたどり着くまでにちょっと時間がかかるほどのCCの多さになっていったとか。

そこで共有された情報によって、CETの同時多発的に起きたプロジェクトそれぞれに興味がある人が集まり、どんどん規模が大きくなっていったようです。

馬場さん:「プロジェクトが熱くなる瞬間っていうのはメーリスでも伝わってきたよね。


振り返りながら語るお二人の共通の見解として、CETは「とても"偶発的"に起こった」ということ。

「変な事件(出来事)を起こしたい」「見たことのない風景を見てみたい」というかなり実験的な動機によって展開しつつ、まちの人や行政の人たちとどうやって関わっていくべきなのかというのを、試行錯誤していたそうです。
その時にうまく進むように間に入ってくれたのが、清水義次(アフタヌーンソサイエティ/アーツ千代田 3331代表)と神田で生まれ育ち、地元の商店街やお祭りを仕切っていた鳥山和茂さんのお二人。
彼らの存在が無ければうまくいかないことがたくさんあっただろうと、まちとリンクしていった瞬間を振り返りました。

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【CET運営時のメンバー組織図】


話はCETからお二人がまちやエリアに対して考えていることに移っていきます。

佐藤さん:「神保町の辺りもね、大きなビルが増えてきて昔の良さがなくなっちゃうんじゃないかと思っていたけれど、行ってみると残るものはちゃんと残っている。元気になる部分がある方が人の流れができてまちとしてはうまく機能するんだよね。」

馬場さん:「この通り(神田司町周辺)の風景的な、構造的な面白さっていうのは同じ幅の小さい建物が並んでいることですよね。こういうのは日本橋のほうにはないんです。小さいポーションがわしゃわしゃとある感じがいい。」

2003年に中目黒から日本橋に事務所を引っ越した馬場さんは「変化するしかないという雰囲気に惹かれた」と移転の理由を語りました。「成熟しているところにいると不安になる」とも。

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【2003年当時のOpenAの事務所】


そして最近、また引っ越しをされて今度は浅草橋の広いワンフロアを借りたそう。
今回はOpenAの事務所だけでなく、シェアオフィスとしてさまざまな人が一緒に働く空間になっているそうです。


馬場さん:「ここは屋根のある公園の中で働いている感じ。複数の組織や個人が、それはデザイナーでも工務店でも弁護士でもいいんだけど、がらんと見渡せるところで一緒に働いているのがいいなって

佐藤さん:「それだけ人がいたらまた仕事も生まれるし、何か動きが出てくるだろうと。そのエリアとは連動したいと思う?」

馬場さん:「今はその屋根のある公園でいろんな人が働いてる風景を見たいというのが先だけど、その動きがエリア化していったら楽しいんでしょうね。」


と、1つの場所でさまざまな業種の人たちが働くことによって生まれる面白さも語っておられました。

佐藤さんはAsylの事務所を渋谷区の桜ヶ丘から2007年に3331に移された後に、2015年神田錦町という司3331がある司町の隣町に、ギャラリーSOBOを併設し移転されました。


佐藤さん:「このエリアがどう変化していくんだろうということに興味があったし、なんか直感があった。」


またそのAsylが面していて、秋のアートイベント「TRANS ARTS TOKYO」の舞台の1つでもある五十一八(ごとういっぱち)通りにも触れ、

佐藤さん:「ここって元々は市をやっていたんですね。で今はもうやってない。その残念な感じがやっぱりある。必要とされるもの(売られるもの)は確実に変化しているけれど、そのコンセプトとか市だった記憶というのはまちから消えないと思う。(佐藤)」


とすでにある土着の文化・記憶を保ちながら、リノベーションすることについて言及されていました。

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またお二人は元々中目黒や渋谷にいた時のことに交え、それらの場所が今や"おしゃれ"な場所として認知されているけれど昔はそうではなかったこと、またそのエリアで起きたような変化が今度はこちらのエリア(神田・日本橋周辺)で起きるのではないかとも仰っていました。


佐藤さん:「ここは文化価値が変わる気がする。ここはユニークでしかも小さいものの集積しているエリアだから。」


その「昔は市だった」という話から、「司3331」にお店も入るのがいいんじゃないかというアイディアが膨らんでいきました。


馬場さん:「もはやお店は路面でやる必要がなくなってきてるからね。」
佐藤さん:「他と違う面白いことをやるような人たちが入ってくるといいよね。」


最後はお二人のお話を受け、3331 Arts Chiyoda やコマンドNを立ち上げて神田のまちで活動して来た中村政人が、CETが行われていた時のことについて振り返ります。

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中村:「僕はコマンドN(自身の会社)を1996年にこの周辺で立ち上げていて、CET当時は『なんだかデザイナーさんたちが面白そうなことやり始めたなぁ』と思ってちょっと距離を置いて見ていた。今思えば、デザインと建築とアートでアプローチの仕方は違うんだけど、このエリアに興味を持って動きをつくっていたという意味ではつながってて、そこに3331がオープンした流れの源がある。」


また現在の大手町周辺の開発や少しずつ起こっている小さな動きも含めて、「神田はわくわくするエリア」だと。


まだまだ聞きたいことがたくさん!と思う、あっという間の1時間半でした。

ここでしか聞けない貴重なお話をしてくださった馬場さんと佐藤さん、また暑い中ご来場いただいたみなさま、本当にありがとうございました!

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平山(コマンドN)/編集:伊多波(3331 Arts Chiyoda)